2009年01月14日

2008年最後のお便り

今年最終のお便りとなりました。
一年前のこの時期、
「来る年の無事と平和∞健康と幸せ≠祈りつつ…」と
お便りを結びました。

そして一年。

激動の経済大津波が今、世界を呑み込もうとしています。
職を失い、収入を失う不安、住む所を失う不安、
助けてくれる人のいない不安、生きる拠りどころの見えない不安、
ある意味では不安の大津波です。
誰しもが願う、不安のない平穏で平和な日々と生活。
誰しもが少しづつ我慢し、少しづつ自粛したら、
叶ったかも知れないこの願い。
でも手の届かない程遠い願いとなりつつある現代
そして、今日現在です。
ここから逃れられる道はもう無いのでしょうか?
希望を持ってはいけないのでしょうか。
食べたいだけ食べるグルメ、飲みたいだけ飲むお酒
吸いたいだけ吸うたばこ
夜更かしの後、寝たいだけ寝ている若者、暑くなく、寒くなく、
快適と快楽と欲望を充たすために必要なお金。
こんな風に生きてしまった結果
最後に「不安」という大津波に襲われている現在だとしたら
「不安」の保険に「お金や貯蓄の世界」に執着したとして
人間は「不安」から解き放たれるのでしょうか。
今こそ、助け、助けられる人間関係やコミュニティの復活しか、
私達の生き残れる場はありません。
お金やインターネットの世界は、利用し、利用されることはあっても
「私」という「個」を認識し不安で冷え切った生命を温めてくれる
ことにはならないでしょう。

あなたは、そばにいる人や身近な人の心を温められておりますか?
無償で行うその行為の中にこそ、
生き残れるヒントがあるように思えてなりません。
ボゥ・ベル・サンテの心は限りなく無償で
ボゥ・ベル・サンテの活動は限りなく有償です。

二〇〇八年もありがとうございました。
posted by Kyoko at 09:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月15日

ボゥ・ベル文化

紅葉狩りやイモ煮会等、行楽のニュースが届いて、四季のあるこの国の
楽しみ方や文化を感じているところです。

私の住まいのある横浜青葉区あざみ野は、四十年前電車も通らず、
竹林や雑木林や秋にはすすき野原が広がるのどかな山間の地域でした。

近くには信仰の山「大山詣で」で知られる大山街道の「宿」の地名や
古の名残の道祖神、地蔵等も未だ残っていて、
新しい街の中に素朴な文化が秋祭り≠フ太鼓の音になって響いて来ます。
どの時代にも、どの地にも根付いて続いて来た祭りもひとつの文化。

人と人がより通じ合い、慈しみ合い、助け合って生きることが、
天に通じる何よりも大切なことであるという古の先人たちの知恵が
文化≠ニいうものを生み出したのでしょうか。

とすると文化≠ニは、人と人がより楽しくより有意義に
より前向きに生産的に生きることのために必然的に生まれ、
自然に育まれて来たものかも知れません。

「不倫は文化」と宣うた芸能人が居りましたが、
文化≠ニは周囲に受け入れられ、受け継がれていくもの、
ということにすると、少しズレが出そうです。
とにかくも、我がボゥ・ベル・サンテに於いては、いまやボゥ・ベルワールド≠ニ称してボゥ・ベル文化≠ェ定着しつつあります。

先ず生きるとは、食べること。食べるとは、美味しいこと、ヘルシーなこと、手早く美しく調理すること。
そして生き方が美しいこと、前向きなこと。
人を助けられること、自分を助けられること。
生きるためには、心も身体も強いこと。
強い生き方が出来ること。そして
「輝いて、美しく、生き生きと」
これぞ正しくボゥ・ベルワールド、ボゥ・ベル文化であると胸を張って思っています。
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2008年09月18日

販社長会議レポート

全国の販社長が集まり今年後半、各地代理店・リーダーの皆さんの活性化に繋がる活動計画やキャンペーンなどの情報交換を中心に熱く話し合いました。
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今回は、季刊誌a la Nature(ア・ラ・ナチュレ)秋・冬合併号掲載用の撮影も平行して行われ、
本社ビルは1階の店舗サロンから4階の会議ラウンジまで、皆が行き交う、盛り上がりの現場となりました。

「京子社長のヘルシーレシピ」でご紹介するお料理は、和田社長がいつもの様に神業でパパッと仕上げて写真撮影。レストラン
会議中、隣のキッチンから香る美味しそうな匂いに、スタッフの私はお腹が 「グゥ〜…」わーい(嬉しい顔)
その後、お料理は販社長達と美味しくいただきましたるんるん
そして今号のMake Up Lessonは、メイクアーティストとして和田社長の登場!ぴかぴか(新しい)
千葉販社リーダーさんをモデルに、
『年代を超えて共有できる美しい肌』というテーマで、和田社長と競演。
「同じボゥ・ベル・サンテ化粧品を使っている母娘が、同じボゥ・ベルメイクをして街にお出掛け。」
とても素敵ですね。ハートたち(複数ハート)
年代に捉われず、同じ化粧品を母娘で楽しみながら共用する。
これもボゥ・ベル・サンテが考えるアンチエイジングのひとつです。
10月予定の発行を待てない方は各販社長に聞いてみてください★
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posted by Kyoko at 17:19| Comment(0) | 講座/セミナー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月12日

深呼吸

蜩(ひぐらし)の声に虫の音も混じり始めた、夏休み(盆休み)の夕暮れ。
残暑の中にもこの季節との別れを感じて、
何故か物寂しい気持ちと、人生の儚(はかな)さをしみじみと味わった
今年の八月でした。

にもかかわらず九月に入り、日一日と朝夕の風が秋めいて、
夜空の月も一段と明るさを増してくる中、
爽やかで心地良い季節をわくわくと迎えているではありませんか。

そうなのです。憂い≠熈悲しみ≠熕l生の中の瞬き≠フ時間。
ゆっくり深呼吸をして、空を見上げ、星空を見上げているうちに、
うれしさも、喜びの思い出も、
そして楽しかった思い出も、必ず表れてくれるものです。

辛さや、苦しさに浸り過ぎず、上手に深呼吸をして、
周りをさらにゆっくり見渡してみたら、
だれかが、どこかで、あなたを求めているのが
見えて来るかも知れません。
もう一度深呼吸をして、耳も澄ましてみませんか。
秋の夜長の虫の音に混じって、あなたを待っている、
あなたを呼んでいる声も聞こえて来るかも知れません。

辛さや、苦しさや、難しさに浸り過ぎず、
目の前の小さな「ありがとう」に先ず手を伸ばしてみませんか。
気が付いたら、きっとあなたは、だれかに「ありがとう!」と
云われているでしょう。
だれかの笑顔に、あなたの心は更に励まされているでしょう。

いつもよりていねいに深呼吸をして
「ありがとう」の言葉と気持ちに触れてみたら、生きているのがもっと
楽しくなるかも知れません。
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この夏、自然に芽を出した百合。
金網をもくぐり抜け、自分の力で一直線に空へ向かい
凛と成長しました。
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2008年08月12日

生きる意味

生きる意味とは・・・
快楽を得ることでしょうか。
生活を守ることでしょうか。
それとも生かされるまま何も考えないということでしょうか。

しかし全ては、いのち≠ってこそ。
それは、自分のいのち、子のいのち、家族のいのちはもちろん、
すれ違った人、すれ違った犬をも含むいのち≠ナす。
そのいのちが安らかで、穏やかで平和なこと、
いのち≠ノやさしく生きてこそ、いのちは守られ、生き続けられます。

仕事も含め、生きることを戦う中で、
スローフードもスローライフも人間関係も大切な事を知りました。

安らかと、穏やかと平和を求めて・・・六十四歳になりました。
満一歳を迎えて間もない頃、
遠く離れた広島の地で、しかし同じ日本の地で起きた、
一瞬にして奪われた大量のいのちと、
どこ迄も広がる深く大きな悲しみの出来事。

その空気は同じ空を伝わって、
東北に生まれた赤ん坊の体内にもきっと入ったに違いありません。
生きようとしていたのに消えたいのち、消されたいのち。
けれども、生かされたいのち≠フひとつを自分がもらっている・・・。
このいのちが、そして同じ他のいのちが、
安らかで、穏やかで、平和な空気と風に包まれて生きられますよう、
心から願い祈る毎日です。
そして、八月六日の朝でもありました。

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2008年07月03日

めぐり逢い

私達は「この世」に生を受け、次々といろいろなものに
めぐり逢いながら、人生を教えられて生きて来ました。
「人生」とは 人として生きる≠ニ表わされています。
人として生きるとは、どういうことなのでしょうか?

「人」以外の生き物は、生れながら餌(え)によって命をつなぎ、
種を残すという宿題があります。
しかし、「人」の命に与えられた宿題は、どうもそれだけでは
ないらしいということを、私達は知っています。
だから「如何(いか)に生きるか?」を悩むのかも知れません。
しかし人間は悩むことを与えられた代わりに、「生きる自由」も
与えられました。人間のみの素晴らしい特典?です。
何故なら自分次第で「どこでどのように生きても良い」のですから…。
その代わり、「私達に人生(人として生きる命)を授けて
下さった『天なる神』から、その生き方をひとりひとり見届け
られている」このことを忘れてはいけないのだと思います。
私は特に宗教は持っておりませんが、大いなる神の存在は
いつも感じて生きてきました。

「如何に生きるか?」ということも、実に私達は毎日大変なこと、
悲しいこと、ラッキーなことなど、いろいろなめぐり逢いを通して、
その意味≠ニ教え≠授けていただいているように思うのです。
だとしたらめぐり逢ったこと≠うらんだり、裏切ったり、
簡単に儲け話にとび付いたり…。
それは「神の意」に反することかもしれません。

六月二十九日、新横浜プリンスホテルに於けるサマーパーティで
めぐり逢ったあの時間にも、きっと大きな意味があったはずです。
めぐり逢いに感謝しながら、成長されていかれる皆様を祈っておりますぴかぴか(新しい)

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       サマーパーティの場、
     ステージから見えた多くの女性の
       めぐり逢いに私も感謝。
posted by Kyoko at 15:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月11日

キーワードは“しっかり”

北京オリンピック参加アスリートの顔ぶれも揃いました。
日本選手団の団長は柔道の鈴木桂治選手、入場式の日本選手団
旗手は卓球の福原愛選手。
偶然にも先日二人はそれぞれに、決意の中味≠
「しっかり*アめたい」「しっかり♂ハたしたい」と
いう共通の言葉で語っていました。

しっかり≠ニいう日本語は、日常の中でも良く使われる言葉
ですが、この言葉のもつ響きに、改めてその先に広がる世界が
しっかり≠るような感じが致しました。
心を強く持ち、目の前の事に真剣にていねいに向き合って
取り組む情景や姿、そしてその結果として生まれた状態が
『しっかり者』『しっかりした造り』『しっかりした会社』…等々
この言葉には、心の衿や心の姿勢迄を正すような不思議な
パワーの注入力を感じます。
しっかり≠ヘ心≠フ状態が基になるのでしょうか。
だから子供の頃によく、親や学校の先生から
「しっかりしなさい!」とか「しっかりやりなさい!」とか
云われたのでしょうか?

心の問題と云えば、私は最近「念入りに」を心がけています。
念≠ヘ今≠フ心≠ニ書きます。今、目の前にいる人、
今、目の前にある事に心を入れる、心を込める、と云う事ですが、
しっかり≠ヘ念入りに≠ノもつながっているのですね。
ところで今日の一日は、今日のあなたは、
しっかりと念入りに過せましたか?

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庭の水がめに今年も睡蓮(スイレン)が
可愛く“しっかり”咲きました。

posted by Kyoko at 11:24| Comment(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月15日

「困難を楽しむ・・・」

テレビっ子?ではないのですが気に入っている番組はいくつかあります。
富士通スポンサー「世界の車窓から」と「NHKプロフェッショナル」等です。

先日、「プロフェッショナル」で現在(いま)もっとも忙しい話題の映画監督
と云われる堤幸彦さんが出演しておられました。
大女優としての実績も人生の上でも先輩である吉永小百合さん相手に
演技に注文をつけるべきや否や$^剣に苦悩し、
最終的には自分の感性を信じて立ち上がり、
大女優に変更を求める場面がありました。
それは愛する人の墓前で故人を偲びつつ「島原の子守唄」を
唄いながら涙が頬を伝わり落ちるラストシーンに対してでした。
この作品のクライマックスでもありました。
けれど堤氏は涙≠フ演技とは正反対の演技を求めました。
結果、大女優は母のような慈愛に満ちた微笑みをもって子守唄を唄い
故人に語りかけるかのような姿に転じ、堤氏の「カット!オッケー!」
の声が響きました。「吉永さんの最初の演技は間違いなく涙を誘って、
最後のクライマックスを迎えられるはず・・・。」
「けれど僕の中では何か違うんです、涙ではないんですよね・・・。」と
つぶやく姿、そして、「ま、吉と出るか凶と出るか」という言葉に、
自分の選択に対して、既に責任と覚悟を決めた堤氏の爽やかな表情を感じました。

自分のこだわりに勇気を持つ∞自分の選択に責任を持つ
このポイントをクリアした人間の潔さと爽やかさに感動でした。
「プロフェッショナルとは?」の質問に「困難を楽しむ」「困難な事でも楽しむ」
と云い切る姿に、何にも勝る力≠見たようでした。そして世に云われる
力を持つ∞力をつける≠ニ云う意味の同義語はもしかして、
困難を楽しむ力≠フことではなかろうか、とハタと思いあたったような
感じすらしております。


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美容講習会でのひとコマ
posted by Kyoko at 11:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月17日

山のあなたの空遠く 「幸(さいわい)」住むと人のいう

青春の頃、良く口ずさんだカール・ブッセの懐かしい詩の一節です。
六十代を既に丸四年も終わろうとしている現在、久しく忘れて
いた一節でもあります。

ところが最近、ある言葉をキッカケに
「山のあなたの空遠く・・・」が再び甦って来ました。
「おふくろは、云うなれば土≠ネんだよ」
「・・・?」
「要するに地ベタ=v
「地ベタ・・・??」
「つまり、空≠ノ対する大地≠フ地=B」
「だから落ちることが無いんだよ」
「ホラ、世の中には空≠セけ追っ掛けている人もいるから・・・」
息子との会話です(三人いる息子の中のひとり)。
「フーン・・・?」
そう云えば過去に何人かの誰かに「あなたは他人に対して
大地の役割を果している人」・・・と、云われた記憶があり、
不思議な気持ちでした。

山・川・空・地$フの忍者の合言葉みたいですが、
この会話が空と地と山のあなた≠ノ繋がったのだと思います。
若さ故、空≠ノ夢を描き、人生をいささか生きた中で、
地に根を下す大切さを知り、花が咲いたら実をつくり、
その実を蒔く。そして、自ら地(肥料)≠ニなって、
苗床≠フ役割をさせていただく・・・。
「なる程!」「そうかぁー!」
ひとりで納得してしまいました。

山のあなた≠熈空遠くの幸い≠熏ナ近思うことが無くなったのは、
自分はもう空≠フ住人でも無く、流されて生きる川≠フ住人でも無く、
しっかりと生命を育む大地≠フ住人になったということでしょうか?

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posted by Kyoko at 17:05| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月27日

『ボーイズ・ビー・アンビシャス』

『ボーイズ・ビー・アンビシャス』
この言葉と初めて出会ったのは、確か小学生の頃だったと思います。
北海道で教鞭をとっていたクラーク先生と呼ばれる外国人が
母国に帰る際に教え子達に残した言葉として、私の記憶の中に
五十年以上も生き続けています。

東北の小さな港町の小学校・中学校に通っていた時代の
私にとって、この言葉は私の心に大きな輝きをもたらして
くれるものでした。
そしてこの言葉をつぶやく度に、目の前の世界が広がるのを
感じました。
リアス式海岸で出来た湾は太平洋に向かって狭く閉じ、
海迄迫った山間に肩を寄せ合うように建つ家々と、
海沿いの僅かな平地に小さな商店街と魚の加工屋が並ぶ町並み・・・。
その景色の向こうに、何故か未だ見ぬ世界が輝いて手招き
するのです。それが何かを知りたくて、中学校の図書室に
通っては本を読み、トランジスタラジオで深夜放送を聴き、
小さな世界からもっと広い世界を見たくて心躍らせておりました。

『ボーイズ・ビー・アンビシャス、少年よ大志を抱け』
クラーク先生のこの言葉は、
「女に学歴は必要ない、男の邪魔にしかならない」と
云わんばかりの封建的、保守的な当時の思考環境の中で、
私に大きな勇気を与え続けてくれました。
『未知を知りたい!』年齢を重ねてもこの気持ちは消えません。
若い頃の未知は知識が主でした。

今は、『生命の意味』『生きる意味』をもっともっと知りたくて、
ボゥ・ベル道をひたすら歩き続ける毎日です。
そしてこの道を歩く中で、クラーク先生の示された
『大志を抱け』の『大志』の意味が
「社会の中で、人のために役立つ自分像を大きく強く描き続けなさい」
という言葉になって心に響いてきます。


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posted by Kyoko at 17:25| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする